】短期間で退職する社員から資格の取得費用を回収できるか?<社会保険労務士石川宗一郎>

企業様から次のご質問をいただきました。

Q.社員に会社の費用で資格を取らせるのですが、 「5年以内に退職したら、資格取得の費用の半額を返金するように」と考えていますが、法的な問題点はありますか?

社員のスキルアップするために、資格の取得に必要な経費や学費を会社が負担するケースはよくあると思います。会社としては社員に投資をして、長期勤続してもらうことで回収したいと思うわけですが、中には資格取得後にすぐ退職してしまう方がいます。そういった短期間での退職を縛りたいために、条件を設けたいといのは理解できます。 こういった契約は、俗に「お礼奉公」と呼ばれ、 看護師資格や医師資格などでよく見られるものです。

■労働基準法の問題

ご質問のように労働契約の中で退職時に返金(違約金)を設定してしまうと、労働基準法第16条に違反する可能性があります。

労働基準法第16条(賠償予定の禁止)
使用者は、労働契約の不履行について違約金を定め、又は損害賠償額を予定する契約をしてはならない。

この第16条は、違約金や損害賠償金などの金銭を盾に労働者を会社に縛り付けることを規制する法律です。ただし、間違いやすい点として、事業主から借金をすること自体が禁止されているわけではなく、退職したら返金するような契約がNGとなっています。

■貸付金での対応

 では医業でよく見る奨学制度は労働基準法違反になってしまうのでしょうか?

労働基準法第16条に抵触しないように、労働契約書とは別に金銭消費貸借契約を作ってしまう、というのが一般的な方法です。

つまり、労働契約と借金の契約を完全に切り分け、借金の契約書に○年勤務すると減額あるいは免除する特約を書き込むのです。

■それではなんでも貸付でクリアできるのか?

しかし、貸付としてしても、研修受講や取得する資格が業務命令で強制される内容や退職することを強く制限する内容である場合は、実態は自由に退職できる権利を縛る内容と判断され、契約自体が無効化される可能性があります。

■実例(みずほ証券事件 2021年3月4日東京地裁判決)

実際に留学費用を会社が負担した事例をあげてご説明します。

大手証券会社の社員が社内の公募留学制度でMBAを取得するための海外留学生に応募し、選抜されました。この留学費用は会社が全額負担することとなっており、5年以内に正当な理由のない自己都合退職をしたら、社員は留学費用を返金する誓約書を提出していました。

約3年間留学したのち、同社に復帰し、わずか5カ月足らずで自己都合退職し同業他社へ転職した。というものです。

会社は留学費用の約3,000万円を全額返還するように求め、裁判となりました。その結果、東京地裁は会社の訴えを全面的に認めました。

■会社が勝った要因と実務上の注意点

・MBA取得があくまでも社内公募で自発的なものであって、必ずしも会社が負担すべきできないものであること

・短期で自己都合退職すると返金する義務を負うことについて詳しく説明を受けており、誓約書も提出していること

・退職を防止する期間も不当に長いとは言えないこと

・・・などが会社の勝訴につながったと思われます。

注意しなければならない点が、この裁判例で会社が負担した費用は、社員自身のキャリアアップや自己啓発要素が強く、広く活用できるMBA取得を目的としたものだった点です。

業務に直ちに密接関連するような資格や労働安全衛生法に根拠があるような安全教育、会社が独自に運営している資格制度(フランチャイズの講習など)であった場合は、本来会社が費用を負担すべきものとなります。

それを貸付金の形としても、労働基準法第16条に抵触し無効とされる可能性があります。

この記事を書いている人 
-Writer-

石川宗一郎

社会保険労務士/代表

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【略歴】昭和59 年生まれ、千葉県八千代市出身。東邦大学卒業。大学卒業後、インターネット業界で友人と起業。その後、浅山社会保険労務士事務所(現エフピオ)へ入社。社労士業の面白さにどっぷりハマる。

日々起こる人事や労務に関する相談対応、就業規則や賃金制度の策定、買収前調査(労務デューデリジェンス)などを担当。

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労働基準法 , 労務トラブル , 自己啓発 ,
   

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